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  1. SPEAKING ABOUT ART

    2011-03-26 (Sat) 09:46

     木村友紀による美術館での初めての個展。とても充実していて面白かった。IZU PHOTO MUSEUMは写真美術館であるのだが、木村友紀は現代美術畑の人なので、写真というものに対する捉え方が写真家とは異なってい...

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人とのコミュニケーションを写真で表現するということ

先日赤々舎とsnacで展示されていた 朝海陽子さんと
あざみ野「イメージの手ざわり」展で展示された横溝静さん。

最近作品を展示されたお二人。
偶然にもお二人からお話を伺う機会にも恵まれ、そのお二人は似た表現手段として写真に向き合っているなと感じました。その共通性と違いを考えてみたいなと思います。


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朝海さんと横溝さん、お二人とも東京で生まれ、海外で写真を学ばれています。
横溝さんがあざみ野での「イメージの手ざわり」展、アーティストトークでお話されていたのですが、
海外で生活した経験があると、ことばの壁にぶつかる。
語感までは伝わらないコミュニケーションの難しさを実感する。

そういった経験から新たなコミュニケーション方法を模索しているのではないでしょうか。

その結果、写真という目の役割も担う機材をつかって、双方向のコミュニケーションをする。
写真表現として人とのつながりを残しているのだと思います。


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朝海さんの作品

「sight」は、展覧会を行った土地での知り合いなどを介した人にコンタクトを取り、
その人たちが住む家のテレビのある部屋で映画を見ている最中、その一瞬を撮影した作品シリーズ。
ひとつの映画を見終わるまでの数時間、彼らの表情を数枚撮るそうですが、最初の頃は被写体となっている方々も随分と緊張して、がちがちになっていることも多いんだとか。
その緊張した表情が欲しいのではなく、あくまでも自然なそのままの姿が現れるまでシャッターを切らずじっと様子を伺っている。

作品のタイトルはその時に観ていた映画のタイトルです。
面白いなと感じるところは、被写体になっている方々の表情と、観ている映画のイメージが必ずしも一致しません。どうしてこんな表情になってしまうんだろうなとくすっと笑ってしまう作品も。
さらに、映り込んでいるその人たちの家族構成や、部屋の状況が千差万別。そのひとそれぞれのドキュメントの一瞬を朝海さんの視点で切り取っていきます。

朝海さんの作品は他にも実験を行っている人を撮影したシリーズ「Conversations」も最近発表されました。

ご本人にお話を伺ったとき、やはり人とのつながりを大事にしていらっしゃるそうで、「sight」も展覧会を行った場所で学芸員さんを介して紹介してもらった人を撮影しているそうですが、その被写体となった方が、実は朝海さんのお知り合いのお知り合いだったことが展示して分かったこともあったそうです。
そのように、写真を通してコミュニケーションの輪が広がっていくことに朝海さんは面白さを感じているようでした。


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横溝さんの作品

横溝さんは、あざみ野での展示では「Sleeping」「Untitled(hitorigoto)」を出展されていました。
昨年2010年六本木クロッシングでは「all」を展示。いずれも人が被写体になる作品です。
「Sleeping」は、長時間露光して撮った写真です。そのため、粒子の荒さが趣を感じさせ、誰も踏み込めないような静寂の空間が観ている私たちに戸惑いを感じさせます。

横溝さんはアーティストトークでこのようにお話されていました。「友達の家に行って暗い中で喋りながら過ごす。友達にはベッドに入って寝てもらう。友達が寝入ると、それまでニュートラルだった空間が、急に侵入者になった気分になる。友達が寝たその無防備な状態が、親密さを呼ぶのです。」
被写体となっている人は、横溝さんの知り合いだけれど、寝入った瞬間の状況が変わった瞬間を写真におさめる。その写真には、時間の流れを感じます。

「all」はロンドンの娼婦を撮った作品。彼女達とコンタクトを取るプロセスも作品にとって大事であると横溝さんは感じており、娼婦と過ごした時間の濃密さも作品に投影されているように感じます。
「娼婦の体はイメージを消滅させるところ」と、彼女達の持つ見えない現象のようなものを写し取りたいとのことでした。

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二人の共通点といえば、写真は人の視野を擬人化するものとしてとらえ、その場で体験したコミュニケーションの貴重な一瞬一瞬を撮るということ。
それは、単なる記録ではなく、お互いが理解しあえた成果のひとつを私たちに表現として表してくれているのではないでしょうか。

横溝さんはこのように話していました。
「人間と人間の間を定めるものは、trust(信頼)」
まさにこの信頼がなければ撮れない作品ばかり。事前にコミュニケーションを取ることで、撮影している作家に対して緊張感を持っている姿は写真に残されていません。



ではコミュニケーションの方向としてはどのような違いがあるのか。

朝海さんの作品は、作家本人と向き合った結果が残されているのではなく、被写体の人の普段の生活にどれだけ入り込んでいけるかということに挑戦しているように感じます。
朝海さんはこんな話をしてくれました。
「映画の選択は被写体になった人に選んでもらうけれど、その国ゆかりの映画を選んでくれる人、子供主体でアニメを選んだ人、その時ちょうど見たかったものを選ぶ人。選んだ理由も人それぞれでした。そういう点がこの写真を撮って面白いなと思ったところです。」
タイトルになる映画は朝海さん自身の提案ではなく、被写体の方に委ねます。なので、環境づくりもほとんど朝海さんは介入しません。お邪魔させていただくといった方がいいのでしょうか。写真を撮るまで、被写体になった人々のどのあたりまで入って行けるのかをコミュニケーション取りながら探っていく。その入り込んだことに成功した結果が写真表現なのだと思います。

一方で横溝さんの作品は、「Stranger」などはまさにそうですが、自分と繋がりのない人との接点、そのつながった瞬間を撮っている。つまり、作家と被写体とのその場の間柄、つながりを映し出しています。ファインダーという目を通して通じ合う人と人。コンタクトを取っているその瞬間が写真に表れているのです。友人が寝入った瞬間の侵入者になってしまったご本人の体験と気持ちまでもそのまま写真に撮っています。



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「人と人の連鎖」お二人の作品の特長となるテーマだと考えます。

ひとつのコミュニケーション手段、関係性そのものが作品と考えること。
「リレーショナルアート」と少々関連付けることができるかもしれません。

お二人の作品は、写真というものに被写体の事象を写すだけではない、新たな概念をつくられていると感じます。
その無防備なコミュニケーションの一片を私たちに表してくれているのです。

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  1. SPEAKING ABOUT ART

    2011-03-26 (Sat) 09:46

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